毛穴セラピストの肌断食記録

エステ、ダーマペン、レーザーなど ありとあらゆる方法を試し、最終行き着いたのが《肌断食、角質培養》 イギリスの文科省・厚労省認定セラピストの国際資格を取得し、 エステ・セラピーサロンを3店舗経験した私の 肌断食記録をゆるく綴っていきます。

汚肌の歩み。1

中学生時代の恨みたいお肌事情。

私は今年27歳。ファンデーションをし始めたのが12歳。化粧歴は15年となります。

そう、あれは中学1年生の夏、ダイソーに並ぶ105円の化粧品達に目を輝かせ、知識が無いなかどうにか525円以内でフルメイクができるようにと長時間悩み人生で初めて化粧品を購入したのでした。

今でこそ100円の化粧品は実用性の高いものが多いですが、15年前は“肌に乗らない、色が出ない、すぐボロボロになる”だったので、何回も肌に擦り付けて擦り付けてを繰り返していました。友達と遊びに行く時は、親にバレないようにメイクして、こっそり家を出で、帰る前にこれで擦り落とす!!!

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当時のベストフレンドでした(笑)ドコデモイッショ。

ファンデーションを擦り付けては擦り取るを繰り返し、加えて、中学2年生になると思春期ニキビが顔中に現れ始めました。そのニキビを隠すためにより一層ファンデーションを叩き込み、家の外でノールック顔面ゴシゴシクレンジングシート。14歳にしてお肌はボロボロです。

 

そして、どんどんひどくなるニキビが辛くて、親に泣きながら頼んで買ってもらったプロアクティブ。初めて使った時はあまりの痛さに叫んだことを覚えています。「綺麗になるために、我慢だ。」と、痛みに耐えながら続けていると、ニキビが減ってきた!!!そう思ったのも束の間、痛みに慣れてくるとまたニキビが増え始め効かなくなってきました。

肌がプロアクティブに順応したのか?抗体ができたのか?そのうち使わなくなり、定期購入契約のため、どんどん増えていく恐怖。高いのに...お母さん、ごめんなさい(笑)

ロサンゼルスでプロアクティブ自動販売機を見つけた時のことを思い出します。

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中学3年生になると、メイク道具もどんどん増え、工程も増え、厚化粧になり、よりゴシゴシ落とし、肌という肌を痛めつけてまいりました。この頃から既に、毛抜きで鼻の角栓を抜いていた記憶があります。

 

つけまつ毛3枚の高校時代。

さあ、私のギャル時代の始まりでございます。

私はD判定にも関わらず進学校と言われる高校にマグレで合格。その高校は校則が無く、私服登校、メイクもヘアカラーもOKだったのです。そして私はやりたい放題(笑)思春期ニキビは少し落ち着いてきていましたが、寝ている時以外はメイクをし、四六時中 お肌を痛めつけることになります。

 

プールの授業前に化粧を落として、泳ぎ、急いで更衣室で化粧をし直し次の授業へ。今考えると呆れますね。そして、顧問の居ないダンス部に入り毎日踊り狂っていました。カッコ良いダンサーに憧れ、ひたすらにギャルを目指します。

地味顔の私は如何に顔を濃く見せようかと試行錯誤... 上につけまつ毛2枚、下に1枚。ひどい時には下まつげをアイライナーで書いていました。

ウォータープルーフじゃないと許せない!クレンジングは絶対にハイピッチ!毛穴パックは必須!この頃のお友達はこちら。

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懐かしい!ファンデーションやチークは色んなものを使ってたのでコレと言って記憶に無いですが、、、プリクラ機から出てくる綿棒・コットン、つけまつ毛!いや〜、良い時代でしたよ平成。この頃は毛抜きで角栓を抜くのが毎日の日課に。化粧に命をかけていました。

 

そして、ヘアカラーも出来るだけ明るい色を追い求め、市販のカラー剤を繰り返し使っていました。すると痛みに痛みまくりあだ名がカナダワシに。もちろん髪の毛のことです。チリチリゴワゴワになってしまいました。授業中は枝毛の処理をするか、いち髪のトリートメントを毛先に塗ることに励んでいました。先生にバレないように教科書を立て、鏡を置き化粧をしたり(笑)

 

また、ダンスの発表や大会に出る機会が増え、自分で髪の毛を盛りに盛ることにハマりました。その時のお供はVO-5か、ドン・キホーテ24h。家にいる時も逆毛を立ててはスプレーを振りヘアセットの練習をしていました。カナダワシにさらなる追い討ちですよね。毎日してると感覚は狂ってくるものでして、気になる先輩との夏祭りデートに髪の毛を盛り盛りにして行き、ドン引きされてしてしまったのを覚えています。おぉ、恥ずかし。

 

ヘアメイクの専門学校へ。

そんな高校生活を過ごし、勉強についていける訳もなく大学進学は早々に諦め、得意なこと好きなことで人の役に立ちたい!誰かの幸せに携わりたい!と、ブライダルヘアメイクを目指しヘアメイクの専門学校に通い始めました。

 

実際に学校に行ってみるとブライダル志望は私1人のみで、ファッションヘアメイクを志望する同級生ばかりでした。授業内容は様々で、ナチュラルなものからモードなものまで。授業ではアイモデルのためお互いの顔を使って練習します。もうお分かりのとおり、1日に何回もメイクをしては落としての繰り返しです。ただのファンデーションの日もあれば、ドウラン、ペイント用基材、泥、絵具、とにかくなんでも塗られました。擦られました。色んな人の色んな道具で。

 

また勉強にもなり仕事道具にもなる為、ありとあらゆる化粧品を買い集めていました。暇があれば百貨店へ行きデパコスと言われるものを購入し、美容関係者しか入れない問屋で舞台用のメイク道具を買い揃え、とにかく大量の化粧品を持っていました。

 

この頃には私のぽっかり毛穴、たるみ毛穴は完成していました。パックやスクラブ、ピーリングをやり過ぎてはいけないと分かってはいても、必要以上にしていた記憶があります。とにかく顔に色々溜まった汚れや老廃物を取らなければ!と、必死も良いとこ。

 

また、私は顔がすぐにテカテカになります。油まみれになるので、自分はオイリー肌だと確信していました。ところがどっこい。19歳の時に百貨店で肌診断をしてもらうと、こう言われました。お客様、お肌の水分量が0に近いです。..........ゼ、ゼロォォォォォ!?んな、アホな。長年連れ添ってきた自分の肌のこと何も分かってへんやん!

 

無知って怖いですね。必死にお肌について学校で勉強していても、思い込みを信じて疑わない。オイリー肌だと思い込んでスキンケアはさっぱりタイプを使用し、念入りにクレンジングする割に保湿はしない日もあるくらい手を抜いていた。いや、むしろわざとしなかったんですよね。それを、実は乾燥肌だったお肌にしていたかと思うとゾッとします。

 

乾燥肌なのに痛めつけられては保湿をしなかった為、潤いを与えるためにお肌が頑張って大量の油を出し続けてくれていたんですね。これをインナードライと人は呼ぶのですね。こんな愚かな私を許してくれよと悔い改め、その日からせっせと保湿に励みました。

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少しは日中の油の出は落ち着いたが、人と比べるとテカテカのベタベタ。あぶらとり紙は離せない存在でした。ピーリング、パック、収斂化粧水、温タオル、スクラブ、最後に氷で冷やしてみても毛穴も小さくなることはなく、角栓を引っこ抜く毎日でした。(毛穴パックは良くないと卒業。)

 

 

汚肌の歩み。2へと続く...